平和の架け橋運動 中国小学校交流湖北省巴東県希望小学校
11月2日~6日にかけて、湖北省巴東県希望小学校の児童・先生方と交流を行いました。2000年9月に第1回目の交流を始めて以降、当初の中国側との約束どおり、10回目の交流を行うことが出来ました。
11月3日、希望小学校に訪れると児童数800人のうち、4年生のクラス全員が校庭に整列して私たちを歓迎してくれました。案内された教室のスクリーンには「熱烈歓迎日友人」の文字が投影されているのをみて、私たちを歓迎する気持ちの大きさを感じました。
校長先生から、①10年間の交流を続け、水布亜鎮の中心的な小学校に発展した。②私たちは日本の大津波の被害に多いに感心がある。③この友情を子々孫々伝えていきます、と歓迎の挨拶を受けました。続いて山口団長が、①今回の交流が最後になりますが、10年間の力添えに感謝します。②巨大津波で原子力発電所が壊れ、放射能の恐怖に怯えた。しかし日本は原発を輸出しようとしている。③2度と過ちを繰り返さないことを誓い、両国にとって平和な社会を創るために力を尽くす、と挨拶を述べました。
さらに、児童代表の3年生と6年生のから、10年間のお礼が述べられ、ノート・鉛筆などの文房具・折り紙とバルーンアートをプレゼントし、校庭で10年間の交流の証として、キンモクセイの植樹を行い交流会は終了いたしました。その後も交流団と児童・先生たちと「バルーンアート」の交流は続きました。
浦和支部青年部中島直人
中国はどんな国なのだろう?JR東労組が建てた希望小学校はどんなところだろう?南京大虐殺事件のことを知りたいと思い、この研修に参加しました。中国に5日滞在して感じたことは、だいぶ日本とは文化が違うということでした。家の形がほとんど同じことや、
洗面所の水廻り、レストランの食器がビニールの包装など、驚かされることが多くありました。
小学4年生の子たちが盛大に出迎えてくれました。教室に入って、先生方の話、子供の代表物の話を聞き、グランドで記念撮影をし、子供たちと遊び、今回の交流の目的である植樹を行ってきました。私は子供たちに囲まれ身動きがとれなくなり、ほとんど植樹に参加できませんでした。その後、先生方と食事をして交流を深めてきました。
住んでいる国が違っても、話す言葉が違っても、人と人のつながりには関係ないと思いました。また、このつながりを10年間続けてきたJR東労組の取り組みはすごいこと
だと改めて感じました。
南京大虐殺紀念館では、時代的背景があったとはいえ、過去に日本が行ったことは許されることではない。武器を捨てた兵や無抵抗な民間人を相手に、嬉々として行っていることや、ゲーム感覚で100人斬りを競っていること、また、そのことをまるで英雄かのよう報道されていることが、人のやることかと怒りと悲しみを感じました。
同じ過ちを繰り返さぬよう、人間一人一人が考えていかなければならないことだと感じました。
日本とは違う文化にふれることができ、とても勉強になりました。機会があればもう一度行きたいとおもいます。