2010年5月17日~22日まで、33名が参加して「ポーランド平和研修2010」が実施されました。アイスランドの火山噴火が心配でしたが、行ってみて実際の問題は2週間ポーランドに降り続く雨でした。
ワルシャワに着いて私たちを迎えてくれたのは、さわやかな初夏の天気ではなく雨空でした。そしてTVでは洪水のニュース、私たちの到着する2日前から大雨、各地で洪水です。 第1日目、雨のワルシャワ、ワジェンキ公園、今年はショパン生誕200年、それを記念して市内何カ所かに、ボタンを押すとショパンの名曲が流れるベンチがおかれていました。
そして「ワルシャワ蜂起記念博物館」へ、ワルシャワ蜂起を国内軍の兵士として戦ったバラノフスキ副館長が講演、改めてソ連からも連合軍からも支援が得られず孤立のなかで戦ったポーランドの悲劇を学びました。バラノフスキ氏は親日家、休館の博物館を私たちのために開けてくれました。
クラクフには列車で夕方到着、2年前にできたという駅前に拡がったショッピングセンター「ガレリア」は最新の流行と店が並びかつての古ぼけた駅前の様相を一変させていました。そして旧市街の建物はきれいにクリーニングされ、新しく塗り替えられきれいな町並みになっていました。EUからの補助金を使ってやっているのだそうです。クラクフは今やヨーロッパで大人気の世界遺産・観光都市です。
クラクフに着いて、浸水で停電、予定していたホテルに泊まれませんでした。さらにアウシュビッツ・ビルケナウへ行く道路は冠水、警察によって道路は閉鎖、アウシュビッツの展示物は外へ避難されているとのこと。また「日本美術技術博物館マンガ」の1F大ホールも浸水し博物館は閉鎖、日本語学校の前の道路は水浸しということを聞いて、被害の大きさに驚かされました。
クラクフの美しい情景をつくっているビスワ川の水かさが増して、芝生が敷き詰められ市民の憩いの場となっている河川敷は水であふれ、城内へ渡る橋の下まで水位は上昇していました。そのため、私たちは予定を大幅に変更せざるを得ませんでした。「日本美術技術博物館マンガ」のかわりに、3日目はブエク炭坑へ、アウシュビッツ・ビルケナウの変わりに4日目はポーランド東端ルブリンの「マイダネック強制労働収容所」に行きました。
研修3日目は、ブエク炭坑とノヴァ・フタでポーランド「連帯」の闘いの講演を受けました。ブエク炭坑には新しく博物館ができ、1981年のブエク炭坑の”連帯”のたたかいが記録されていました。戒厳令下に弾圧に抗してストライキ、軍隊の介入によって9人の労働者が殺されました。この博物館を訪れた外国からのゲストはJR東労組ははじめて、ブエク炭坑の”連帯”労組委員長、および記憶委員会のプワテック氏から歓迎を受けました。
ノヴァ・フタは「新しい鉄の町」という意味。共産主義政権がつくった労働者の町、教会がなく「心のない町」といわれていました。この町でも戒厳令の時、人々は起ち上がり警官の弾圧で1人の若者が亡くなったのだそうです。
初代「鉄道連帯」委員長ドンブロフスキ氏は1980年代、連帯が地下活動していたときの教会の会議室で私たちに「連帯」の闘いを語ってくれました。ドンブロフスキ氏は、「連帯とは何か?」それは本当のことをいうことであり、世界中の労働者との連帯である。皆さんは大変いい時期にポーランドにきました。今ポーランドは大洪水、人々の苦労を肌で感じることができます。この洪水で一生かかってつくった財産を一瞬にして流され、失ってしまう人がいます。困っている人、隣人が助けを必要としているとき、見ているだけでいいのか。”連帯”の理想は、他人の苦しみ悲しみを黙ってみていてはいけない、助けを必要としている人を助けることである。自分だけが居心地がいいところにいてはいけない。外へ出ていろいろなことを考える。不正や不公平が行われている現場に行き連帯の理想を実現することである・・・。 と述べ連帯の歴史とこれからのたたかいの展望が力強く述べられました。「困った人に手を差し伸べる。行動する。真実を言う」ということは簡単なことに聞こえますが、実際は「言うは易し、行うは難し」です。
1989年、共産主義政権との「円卓会議」で合法化され、その年の総選挙で圧勝し“連帯”は権力を握ります。しかしここから、“連帯”は衰退と分裂の過程に入ります。労働者の闘いで、言論の自由と人権を否定した「共産主義」(スターリン主義)に代わった“連帯“政権はポーランドの資本主義化を目指し、支配層だった共産主義者と共に連帯運動を支持したインテリ・指導者たちは、労働者を裏切り金持ち資本家に変身してしまいました。そのため、新政権になっても「共産政権」の時抑圧されていた底辺の労働者・市民の生活は何も改善されなかったばかりか、工場の民営化や閉鎖、その結果、失業し貧困層へと転落していきました。
そんな貧困層を支え、“連帯”の原点に戻そうとしていたのが4月10日、「カチンの森70周年記念式典」に出席のためロシア・スモレンスクに向かい亡くなったカチンスキ大統領たちでした。ブエク炭坑の弾圧など共産主義政権時代の犯罪やスパイ行為も暴いていました。カチンスキ大統領は「法と正義」という政党に属します。「極右翼」「時代おくれ」「ジャガイモ」などと、マスコミからけなされていたそうですが、貧困層の支えであるカトリック教会とカトリックに心のよりどころを求める多数のポーランド人からは支持を受けていました。
ドンブロフスキ氏は「ポーランド”連帯”の精神は、十字架(キリスト教)、ヨハネ・パウロ2世(ポーランドの人たちに「隣人を恐れるな」と諭した)、ブラックマリア(ポーランドの守護神)である」といいました。カチンスキ大統領の非業の死を悼んで、多くのポーランド人たちが1979年の時のように哀悼の意を表すために街頭へとあふれ出したと言います。ドンブロフスキ氏の言うように、ポーランドには1980年代の“連帯“の精神はまだ生きています。「抵抗とヒューマニズム」その精神はまたきっとよみがえるでしょう。半旗が掲げられたワルシャワの大統領府。事件から1ヶ月たっても弔問する人は絶えません。日本の民主主義、もちろん守っていかなければなりません。そのためにも「たしろ選」に勝利する。それは自分たちのこれからすべきことだと思います。
雨ばかりの4日間で、予定も変更しましたが、充実した研修ができました。