大きく育った日本・ポーランド
友好と平和のシンボル
1994年11月30日、ポーランドの古都クラクフに日本美術技術センター(現在は「日本美術技術博物館マンガ」に名称変更)が設立されて今年で15周年を迎え、記念式典が去る11月28日センターホールで開催されました。JR東労組から石川顧問、千葉委員長、高橋国際部長が参加しました。
18時から始まった式典には、ポーランド、日本から200人の関係者が集まり盛大に開催された。「京都・クラクフ基金」をつくりこのセンター建設に尽力したアンジェイ・ワイダご夫妻があいさつに立ちました。「このセンターで15年間の間式典400、コンサート250、演劇・能・歌舞伎、舞踊、茶道などの催しが開催された。これはヤシェンスキの夢の実現である。センターを建てるという私のアイディア、文化の大切さを信じて支援していただいた皆さんに感謝したい」と述べました。
15年前設立式典に参加したワレサ元大統領は「15年前私は『第2の日本をつくる』と言った。自由なポーランドを目指した。文化だけでなく、技術についても日本と深い協力関係をつくっていきたい」と祝いの言葉を述べました。
1992年、JR東労組は当時の松崎明委員長の提案にもとづきアンジェイ・ワイダ監督の日本美術・技術センターを建てたいをいう情熱を支援、街頭カンパ、「1週間1人10円カンパ」に取り組んだ。オープンした現在マンガセンター・日本語学校はポーランドでの「日本文化の発信地」となっていますが、設立当時「日本の鉄道労働者がセンター設立を支援した」ということは多くのクラクフ市民が知っています。
平和と正義のために、子どもたちの未来のために
千葉委員長は「募金活動を通じて、日本美術技術博物館マンガの設立にお役に立てたことは、光栄なことであり誇りでもあります。私たちは日本美術技術博物館マンガが設立された翌年の1995年から、ポーランド平和研修を今日まで取り組んできています。アウシュビッツ収容所から戦争による悲劇と犯罪を学び、平和のために日本において活動することを誓いました。
JR東労組の運動の基本は「抵抗とヒューマニズム」です。この博物館と共に、ポーランドにはJR東労組組合員のカンパで建立された「ブエク炭坑慰霊碑」「グディニア慰霊碑」があります。平和のために、正義のために、さらに子どもたちの未来のためにこれからも活動していきます。そして、ポーランドの皆さんとの友好の輪がさらに大きく広まることを祈念しています」とあいさつ大きな拍手が送られました。
その他ポーランド政府、クラクフ市、日本大使館ポーランド大使など多くの来賓から祝辞が述べられました。式典終了後、マンガセンターの展示や建築家磯崎新氏のセンター建設構想のデザイン画などの展示を見学しました。センター設立から15年がたち、そのとき植樹した桜の木も大きくなりました。日本とポーランド友好と平和のシンボルとして桜の木を共に大きく育っています。
10・31集会への連帯メッセージへお礼
ワルシャワの鉄道連帯本部を訪問
11月26日、石川顧問、千葉委員長、高橋国際部長はワルシャワにある鉄道連帯労組本部を訪問し、10・31反弾圧集会への連帯メッセージのお礼を伝えると共にグリメル議長はじめ本部執行委員の皆さんと意見交換を行いました。
ポーランド国鉄は7つに分割され運営されていること、昨年の世界経済危機の影響をまともに受け貨物会社が経済危機、組合の闘いにもかかわらず15ヶ月の退職手当で7千人の労働者が人員削減された状況が報告されました。また課題は地方交通線をどのように維持していくかということでした。
ポーランド側からは日本に民主党政権が成立したことに関心を示し、美世志会7名への最高裁判決についても闘いの展望について意見交換しました。スターリン体制の抑圧の中から連帯運動をつくりだした力は今も息づいていました。