嗚噫(ああ)~!信楽高原鉄道事故発生!
死者42名、重軽傷者614名発生!
1990年10月、世界の鉄道労働者が一堂に会した第1回国際鉄道安全会議が開催されました。この取り組みで世界の国々がそれぞれの条件と労使の立場を乗り越え、21世紀の鉄道の発展のために議論し、「責任追及から原因究明へ」という安全哲学が共通の価値観となったのです。
国際鉄道安全会議に対する様々な妨害
この会議を鉄産総連や国労は露骨に妨害しましたが、同じJR総連内部のJR西労組も例外ではありませんでした。
JR西日本の経営陣は「安全は経営の問題であり組合には関係ない」という姿勢を取っていましたが、JR西労組もこの経営陣に呼応し、国際鉄道安全会議をボイコットしました。そればかりか、1991年2月19日に開催された第9回中央委員会において「JR総連との関係を断絶する」として、JR総連から事実上脱退をしたのです。
この結果、JR西労組は分裂、JR総連を支持する仲間たちは5月25日「JR西労」を結成しました。
事故の反省・謝罪しないJR西日本会社とJR西労組
この分裂騒動の最中の5月15日、JR西日本の車両と信楽高原鉄道の車両同士が正面衝突する信楽高原鉄道事故が発生し、死者42名、重軽傷者614名という大惨事となりました。
この事故に対し、JR西日本は「事故の責任は信楽高原鉄道側にある」との態度に終始し、遺族への謝罪・弔問も行いませんでした。このため、遺族並びに関係者から激しい怒りをかうと共にJR西日本の安全への姿勢が社会的にも問われる事態となりました。遺族のJR西日本を相手取っての損害賠償請求訴訟では「JRは事前の信号トラブルの経験から事故を予見できたのに、社内の報告体制を確立する義務を怠った」としてJR西日本の敗訴が決定しました。しかし、敗訴が決定するまでの12年間、JR西日本会社は犠牲者・遺族に一切謝罪しなかったのです。
JR西労との連帯した取り組み
「JR西労組を強化する会」(後のJR西労)は弁護士を派遣、組合員の救援・激励に奔走、事故原因の究明・対策に取り組みました。また、JR東労組はJR総連とともに支援活動を行うと共に、鉄道事業に従事する者として「遺族の会」の活動を全面的に支援することを決定し、1人1週間10円カンパを取り組みました。
安全よりも経営側にまわったJR西労組
JR西労組は「安全は経営の問題」として前年の国際鉄道安全会議をボイコットした姿勢を貫き通しました。ここに彼らの目指す労働組合の姿=経営側と癒着した御用組合の姿が如何なく発揮されていると言えます。