1988年11月、JR東労組は8月、10月と連続して発生した重大事故を重く受け止め、会社と安全議論を行うとともに安全風土を変えるために「事故撲滅宣言」を発出しました。
しかし、残念なことに1ヶ月後の12月5日「東中野駅構内で列車追突事故」が発生しました。
<東中野事故の概要>
1988年12月5日、東中野駅構内で停車中の電車に後続電車が追突し、死者二名(お客様と運転士)をはじめ多数の負傷者を出しました。
この事故は先行列車が4分遅れて東中野駅に停車していたところに、後続列車が追突したというものです。当然にもATSがついているため列車衝突というのは基本的にはあり得ませんが、この当時のATSは動作した際に、運転士が確認ボタンを押せばそのまま進行することが出来たのです。ですから、運転士が何らかの理由でATSを解除し進行したのではないかと思われます。
この事故を契機に、JR東労組は会社と経営協議会で議論し、事故の重大性と対策について労使双方の認識を一致させてきました。対策は以下の通りです。
などを労使で確認してきました。
この労使議論では事故報告が勤務評価を左右してはならないことと、現場第一線の社員の声が安全確保にいかに重要か、という事が議論されました。
特に、現場第一線の社員が、自ら進んで安全について考え、議論し、行動する ことを大きな柱にした教育と現場の実態や労働条件向上に向けて労使双方が建 設的な意見交換を目指していくことが確認されました。
この事故がきっかけとなり、JR東労組の「安全確立・職場からの挑戦」が開始されるのです。